『トリスタンとイゾルデ』 は、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えた恋愛物語であり、ワーグナーのオ
ペラでも有名である。
マルク王の妃となったイゾルデと、彼女と媚薬の魔力で結ばれた 騎士トリスタンの悲恋を描いているのがワーグナーのオペラであるが、重要な役割を占める「媚薬」のエピソードはこの映画では一切登場しない。
あくまで現実的な悲恋として描いており、許婚マロルドは無骨で粗野な男として描かれており、愛情を感じる魅力すら存在しない。
オペラでは 許婚を殺された憎しみと、トリスタンへの愛と言う二つの局面に苦しみ、果ては彼を毒殺する決意をし毒薬を飲ませるのだが、それは実は惚れ薬であり、二人は愛の法悦に浸ってしまう。
しかし映画では、逆にむさい大男の許婚が死に、内心ほっとしたイゾルデ。
アイルランドとコンウオールの和解の為親善試合をし、
勝者にはイゾルデ姫と結婚させると言う申し出を受け、 トリスタンは再びブランゲーネに会える事を楽しみに王の代理で親善試合をする。
顔をベールで隠したイゾルデは、トリスタンが王の代理だとは知らず、密かに彼の優勝を願う。
そして、トリスタンが優勝し、ベールを脱ぎ去りイゾルデは心から歓喜するが・・・真実を知り互いに深く落胆し、悲しむ二人。
惚れ薬などなくとも、一度火のついた恋は、障害があればあるほど燃え上がり、留まるところを知らないと言った寸法である。
ある意味現実的なのだが、ワーグナーのオペラでこの物語をご存知の方は、少々肩透かしを食らうであろう。
この映画は、そうしたオペラのストーリーは横に置いて、新しいトリスタンとイゾルデの悲恋映画としてみることをおすすめする。
そしてトリスタン演じるジェームズ・フランコは「スパイダーマン」シリーズでおなじみの俳優であるが、端正で憂いを帯びた表情は、こうした歴史ロマンの騎士役には相応しい面立ちである。
イゾルデ役のソフィア・マイルズは、『サンダーバード』のレディ・ペネロープ役が記憶に新しいが、その健康的な面差しと体躯は、どう見ても現代女性と言う感じで、悲恋のヒロインには違和感が拭いきれなかった。
出来れば同じ金髪美女でも、もう少し線の細い、クラシカルな面立ちの女優を起用して欲しかった。
そしてマルク王演じる「ルーファス・シーウェル」は、こうした歴史映画には昔から常連である。
愛する妻が甥のトリスタンと愛し合っているという事実を突きつけられ、怒りと悲しみの中にも王として私的な感情を拭い去り、二人を許すという善王マルクをいつもながら達者な演技力で演じていた。
そしてこの作品の監督は、ケビン・コスナー主演の「ロビン・フッド」や「ウオーターワールド」等の作品でおなじみのケビン・ レイノルズであり、決してリドニー・スコットではない。
制作を監督と間違えている方が多いようなので、ご注意を。
もしリドニー・スコットがメガホンを取っていたら、もっとスケールの大きい作品になっていただろう。
決して悪いとは言わないが、傑作とも言いがたい作品であり、うまく小さくまとめたという感が拭えない。それは演出だけでなく、スター俳優を起用せず、新人俳優や脇役俳優だけでまとめられたと言うことからも起因するのであろう。
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