『なぜ山に登る?』
『そこに山があるからさ』
などと、昔から良く言われている言葉を思わず思い出してしまった。
スクリーンで見てもシウラ・グランデ峰西壁は『壁』と言う異名を取るだけあり、垂直に近い角度であり、それも6000m級のとてつもない山で、巨大な魔物のようで思わず身震いをしてしまった。
富士山すら車で行ける5合目までしか行ったことのない私にとって、こんなとてつもない高さの山に登るなんて、全く理解しがたい。
確かに登山は、それを経験したものは、その虜になってしまうようである。
困難にあえて挑む、登山家の生き様は男らしく、そして眩しい。
この映画は二人の登山家のインタビューの中での若き日の回想シーンを役者が演じており、 インタビューと回想シーンが交互に映像となる再現型ドキュメンタリーである。
それ故、生死を問うようなシーンでも、その登山家がインタビューに答えているということは、『死にはしない』と言う結末を、必然的に観客は初めから理解する。
この映画を見て深く感じたことは、『生死に対する運命』と言うのは、ただ運が良いだけではなく、『生』に対する強い執着が重要だと言う事。
当たり前のように聞こえるが、彼のあの状況下なら、まずほとんどの人がそれを諦めざる得ないであろう。
そして、絶望と言う状況の中でも、どんな小さい事でも良いから『目標』を持つこと。
骨折し、想像を絶する痛みの中、喉の渇きに苛まれながら、地を這うように下山して行く彼を、下界でノウノウと平和に暮らしている自分にとってはその孤独を想像すら出来ない。
雪がいっぱいあるのに「乾き?」と思ったが、固体にすれば確かに雪は重量がありそうだが、液体化すれば喉の渇きを癒すには程遠いと言う事である。
そして興味深いのが、登山家なら山で死ぬことも本望だろうと思ったが、『死ぬならなるべく、麓に近い場所で死にたいと思った』と言うこと。
麓に近い場所=他の人間に近い場所と言う感覚なのか。
人間死ぬときは一人であっても、誰一人見守ることもなく死ぬ孤独には耐えられないと言う事なのだろう。
人に見守られて死ぬのが無理なら、なるべく人の痕跡のある場所から近いところで死にたいときっと彼は思ったのであろう。
確かに雪で覆われた山は『生』の痕跡が自分以外何も存在せず、寂寥としていてとてつもなく孤独で恐ろしい。
この映画は、インタビューと回想の交互の映像形式と言うことを前述したが、それ故好き嫌いがはっきりと分かれる作品なのではないかと推測される。
娯楽映画を期待していると、裏切られる。
二人の登山家の壮絶なる体験としてみると、素晴らしい感動作である。
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